なんちゃって登山ガイドとして韓国・僧加院のみなさんと富士登山

記事の整理をしていたら、ブログの移動の時に落としてしまったのに気がついた、2年半前のレポートです。なつかしいなあ・・・・。先月、彼らが湘南亀組の公演に出演したときに鎌倉まで見に行ったのですが、私のこと覚えていてくれて感激しました。
公演の動画はこちら
http://youtu.be/bAAVnf8ZxaY




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2010年7月26日 晴れ
富士山河口湖口 日帰り
僧加院(スンガウォン)のメンバー、文ちゃんと私
9時間くらい





韓国の福祉施設のみなさんと富士山へ。僧加院(スンガウォン)といって仏教系の障害者の施設です。今回22日に横浜?川崎?の障害者施設の招待でサムルノリなどの公演があって、そのついでに富士登山を計画したということです。私が一緒に登ることになった経緯はざっとこういうわけなのですが、一緒に登ろうと誘われたわけではなく、なぜか「じゃあ私も一緒に行きます!。」と言う言葉が口から飛び出していたという・・・。で職場にアルバイトに来ている中国朝鮮族の文ちゃんと「夏休みどっか行くの?」っていう話をしていて、ふとこの話をすると彼女も反射的に「え?じゃあ私も行きたい!」と参加することになりました。言っちゃったもののちょっと心配だったのですが、蓋を開けてみるとすごく楽しくて二人とも「楽しかったね。一緒に来てよかったね。」と帰りの車の中で盛り上がりました。


韓国では富士登山の情報は少なかったので、僧加院の事務局長さんとメールのやりとりをして富士吉田市のHPなどを教えたり、自分の知識や少ない経験から助言をしてあげたりして、けっこう準備万端なつもりでいたのですが、時間の配分がギリギリだったことに日本の施設の人やバス会社の人があれこれ心配して、僧加院の人は「登山ガイドのキャラメルさんが大丈夫って言ったから。」と押し通した・・・という韓国っぽいエピソードあり。登山ガイドになっているという話には仰天しましたが、当日の朝は、ちゃんと「ボランティア」と紹介してくれたので心底安心しました。

結局時間は予定より30分オーバーしただけで、山頂まで行くつもりだった人はほとんどみんな行って来ました。事故もなく無事に行って来られたばかりでなく、登頂の喜びをみんなで分かち合うことができ、私はお手伝いをした甲斐があったなあ、としみじみ思いました。「私も一緒に行きます」のひとことが飛び出してよかったんだなあ、と思いました。

前の晩、文ちゃんが家に来てキムパプを作ってくれて、それと私が何日か前に漬けておいた大根キムチをお弁当に持って行きました。みんなにも分けるからと思ってお菓子をいつもより多めに持ったり。チョコレートはダウン症のちびっ子たちに大人気、大根キムチも汁まであっという間になくなってしまいました。漬けたの全部持っていって登る前にあげればよかったかも。キムパプも美味しかった。作り方を見ていたのでこれから山ごはんはキムパプにする!

朝は、バスには便乗せずに車で五合目へ。7時に着くように家を出て渋滞もなかったのですが、5合目の200m下で何台かが駐車場待ちをしていました。そこの臨時駐車場へ止めて僧加院のバスに拾ってもらうことにして待っていました。バスが来て乗り込むと、みんな朝からすごいハイテンションで、パワー全開、楽しい1日になりそうな予感満点でした。

バスを降りて運転手さんとお話をしたり、みんなに自己紹介をしたり、トイレに行ったり、新聞記者も同行していたので写真を撮ったり、途中で降りてくる人たちの休憩所の確認をしたり、準備運動をしたり、登山ガイド(!)として注意点を説明したりして、8時45分前くらいに登山を開始しました。

初めは私の話した注意点を覚えていて「ゆっくり、ゆっくり」と口々に言っていたみなさんですが、血気盛んな男子などはすぐにガンガン行ってしまい、「ちょっと待って~~」という状態。五合目で走り回ったりしゃべりまくったりした私は、この前一人で来たときよりもはるかに苦しくて最後からヨチヨチついていく有様です。泉ヶ滝から6合目の安全指導センターまでは心臓が苦しくて心配でした。早々に“登山ガイド”のラベルは剥がれてしまった感じですね。トホホ・・・・。


駐在所を過ぎると体も慣れてきました。この辺で障害者何人かと女性の職員が2~3人五合目に引き返して行きました。つづら折の道をしばらく登ったところで、また何人か引き返しましたが、登頂するつもりだった若い男性職員が一旦送ってまた登ってきたのですが、ひとりではがんばれずに6合目の手前で挫折してしまい、結局また五合目に戻ったそうです。この、六合目であきらめて戻った、という話はあとから聞いたのですが、私も太子館から障害者3人を連れて下山し、五合目に戻ってまた下山道を登り7合目のトイレを少し過ぎたところでみんなと会ってまた一緒に下りる、ということをしたので、もし知っていたら一緒に登ったのに・・・・と残念でした。彼も「下りて来てまたすぐ行っちゃったんですって?」とくやしがっていました。今回のために高価な登山装備を色々そろえて張り切っていたのに可哀想なことです。


で、山頂を目指す一行は7合目の初めのところまで、2時間で来てしまうというなかなかのペースでした。みんなで登るとやっぱり楽しいですね。ひとりでも楽しいですけど、大勢は楽しい。で、新聞記者の女の子がいたのですが、登山の格好ではなくて、帽子もなく肩掛けカバンに一眼レフカメラを入れて来て、大丈夫?と思いましたがけっこう元気で、山頂までも行ってしまいました。ホンモノの登山ガイドなら許可しないところ・・・・


途中の岩場で、写真を撮りまくっていた事務局長さんが、カメラとiphoneを持ったままバランスを崩して転倒、そばにいた日本人の小学生の男の子も巻き込んでしまい、どっきりしましたが、本人も男の子もカメラもiphoneも全て無事でほっとしました。iphoneでは動画を撮っている最中だったということで、転倒の様子もばっちり写っていたのを見せてもらい、院長さんと私は大爆笑をしました。その話をあとで文ちゃんに日本語でしていたら、向かいに座っていた日本人の男性も聞いていて「はっはっは。」と笑っていました。

さらに1時間半、11時40分くらいで8合目の太子館に到着。そこで早めのお昼を食べて、出発のときになり、障害者3人がもう登れないということになり、山小屋の前で待たせておいて山頂へ行ってきて迎えに来て下りる、という話になり、でも健常者の付き添いが誰もいないからメモを持たせて、お金と水と食べ物を置いて「ケンチャナ、ケンチャナ」と言いながら後ろ髪を引かれる思いで出かけたのですが、ずっと座ってたら寒いし、何かあったら困るし“登山ガイド”としてはそんな無責任なことはやっぱりできないし・・・やっぱり心配で戻ったら、案の定ひとりが「頭が痛い」と言って辛そうにしています。「私が連れて下ります。」というと事務局長さんたちは何回も「大丈夫だから置いて一緒に登りましょう。」と言うのですが、「私はこないだ頂上は行ったし、またいつでも来られるから。」と言って、山頂から下山する時には本8合目のところの下山道の分かれ道で須走口に行ってしまわないように、よくよく説明をして見送り、私と下りる組は下山道へと繋がるブル道を歩き出しました。12時半くらいだったと思います。


3人ともけっこう辛かったようで、帰れると分かると安心した様子です。でも下山道もなかなか大変でした。みんな普通のスニーカーだった上、筋力がないので、ズルズルすべって怖かったと思います。でも二人ずつ手をつないで、休み休み下りて行きました。お菓子がたくさんあったので食べながら・・・・。ブドウ糖を食べたときには美味しくてニコニコしていましたが、ワサビ味のせんべいは「からい。」と言って顔をしかめていました。

4時くらいにやっと五合目に着いて、雲上閣の3階の更衣室でみんなが待機していたので、そこへ行って引き取ってもらい、私は飲み物を買ったりトイレへ行ったりしてから、また五合目を出発しました。4時半くらい。朝よりも日差しが強く暑かったです。心臓破りの6合目までの道は、同じ日の2回目だから少し楽かと思いましたが、朝と同じように苦しかったです。安全指導センターの上の建物を過ぎたところから下山道に入ります。すれ違う人が怪訝そうに私を見て、「下山道を登っているのですか?」と聞くので、「下りてくる連れに会いに行くんです。」と説明しました。実はこれを思いついたのは、さっき下山しながら、そこを登ってくるひとりの男性に会ったときなのです。だから、太子館を出たときには五合目で待っているつもりだったのですが、「そうだ、そうすればいいじゃん」と我ながら良い考えだと、張り切って再び登り始めたのです。


下山道を登るのは、これまた大変でした・・・・。急なところがけっこうあるし、風も冷たくなってきたのに汗だくです。みんなが須走口の方へ下りて行っちゃってたらどうしよう、会えなかったらどうしよう、と心配にもなり、心細かったです。途中でお昼の残りを食べたりして、2時間歩き、7合目のトイレの前で、登山慣れしていそうな男性に「下山してる仲間を迎えに行くの?」と聞かれ、少し話してまた上り始めると、一行の先頭が下りてきて私を見て驚いて手を振ってくれて、「山頂へ行ってきたよ~!」と輝く笑顔で喜んでいるのを見て、どんな気持ちかわかるので私も嬉しかったです。

さらに登り始めると何組かが喜びの表情で段々と下りてきて、30分くらいでとうとう最後の組に会いました。
色々話をしたり、食事とかバスの手配とかの段取りをしながら、一緒に下りて五合目に着いたら7時半を少し回っていました。五合目の食堂はもう閉店だったので、バスの運転手さんがラーメン屋の手配をしてくれて、そこへ行ってラーメンをみんなで美味しく食べました。

尼さんで院長さんの「お手伝いしてくれてありがとう、この良い縁を大切にしていきましょう。」という言葉がいつまでも心に残りそうです。